全5回を通じて、Aiが「見える」ものと「見えない」ものの境界線を、部位ごと・死因ごとに具体的に見てきた。最終回では視点を変え、2つの問いに向き合う。
一つは、Aiは医療訴訟の場でどう扱われているのかという現実的な問いである。「Aiを撮っておけば安心」なのか、そもそも日本の医療訴訟はどれくらいの頻度で起こり、どう決着しているのか——現役弁護士による講演から、実態を数字で確認する。
もう一つは、Aiはこれからどこに向かうのかという展望である。機械学習・AI(人工知能)による自動読影支援は、Aiの現場をどう変えうるのか。最終回は、Aiというツールを「今後どう使いこなすか」を考えるための締めくくりとしたい。
この記事でわかること
- 日本の医療訴訟の実態——新受件数の推移、患者側の勝訴率、刑事事件化する割合
- 診療ガイドラインは訴訟でどう扱われるか——「遵守=無過失」「違反=過失」ではない実態
- 「全例撮影」という理念と、実際の実施率とのギャップ
- AI(人工知能)による死後画像読影支援の可能性と、Aiの今後の展望
1医療訴訟の実態——増えているのか、減っているのか
医療訴訟の新受件数は、1999年の患者取り違え事件・消毒薬(ヒビテン)誤投与事件、そして米国発の医療安全レポート「To Err Is Human」(人は誰でも間違える)を契機に増加し、2004年に年間1,100件超とピークを迎えた。その後は減少に転じ、2009年以降は年間700〜800件台で推移している。
もっとも、医療紛争のすべてが訴訟に至るわけではない。医療紛争のうち実際に訴訟提起に至るのは、およそ10分の1とされる。
ER医が向き合うべき現実は「訴訟になるかどうか」だけではない。訴訟に至らない9割の紛争においても、Aiのような客観的な記録が遺族・患者との対話を左右する。
1-1. 刑事事件化する割合はさらに小さい
厚労省資料をもとにした整理では、警察への届出等総数は2004年の255件をピークに(2007年にも246件と再上昇)、その後は減少し、2015年には65件まで落ち込んでいる。
刑事裁判件数はさらに絞り込まれる。2005年の47件をピークに激減し、2016年には2件にとどまった。この背景には、医療行為の刑事責任を問うことの難しさを印象づけた一連の無罪判決がある。原資料のグラフには、心臓ポンプ事件(無罪)、割り箸事件(2006年地裁無罪、2008年高裁無罪)、福島大野事件(2008年無罪)が、それぞれ届出件数の減少局面と重ねて示されている。
1-2. 患者側は「勝ちにくい」——3つの数字の落差
医事関係訴訟における患者側の勝訴率(認容率)は、2000年の46.9%をピークに低下し、2016年17.6%、2018年18.5%となっている。
原資料のグラフでは、この医事関係訴訟の認容率が、他の2つの数字と並べて示されている点が重要である。
| 区分 | 原告・検察側が認められる割合 |
|---|---|
| 民事訴訟全体の認容率 | おおむね80〜88%(1999年85.1%、2011年88.4%、2016年80.0%、2018年85.5%) |
| 医事関係訴訟の認容率 | 2000年46.9% → 2016年17.6% → 2018年18.5% |
| 刑事事件の有罪率 | 99.7〜99.9% |
民事訴訟一般では原告が8割以上勝つのに対し、医事関係訴訟では患者側が勝つのは2割弱。一方、刑事事件で起訴されればほぼ確実に有罪になる。この落差が、医療訴訟という領域の特殊性を物語っている。
なお水沼弁護士は、これらの数字を示したうえで「なぜ(医師は)不安なのか」と問いを立て、行動経済学における確率加重関数(Tversky 1992)を引用している。人は低い確率を過大に評価し、高い確率を過小に評価する傾向がある——訴訟リスクの実態と、医師が感じる不安の大きさとのズレは、この認知の癖で説明できる部分がある、という指摘である。
2法律上の責任と過失——医療水準とガイドラインの関係
2-1. 過失とは何か
民事上の責任(民法第709条:不法行為による損害賠償)、刑事上の責任(刑法第211条:業務上過失致死傷等)のいずれも、過失(注意義務違反)と、それによって生じた損害・死傷との因果関係が問われる。過失は、①予見義務の違反、②結果回避義務の違反、の2つから成る。
過失の判断基準となる「医療水準」は、最高裁判例(最二小判平成7年6月9日)により、当該医療機関の性格・所在地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮すべきとされている。つまり、大学病院と診療所とで同じ医療水準を一律に要求するのは相当でない、という考え方である。加えて、医療水準は医療慣行と同一ではない——「みんなやっているから」は医療水準の証明にはならない。
2-2. 診療ガイドラインは過失判断にどう使われるか
診療ガイドラインと医療訴訟の関係を分析した研究(桑原博道・淺野陽介「ガイドラインと医療訴訟について——弁護士による211の裁判例の法的解析」)は、実務上非常に示唆に富む。
- 過失判断でガイドラインが利用されたのべ211件のうち、実際にガイドラインが引用された事案は200件(95%)
- そのうちガイドラインを「遵守」していた事案が46%、ガイドラインと異なる「異種療法」を行っていた事案が33%、裁判所がガイドライン遵守について判断を示さなかった事案が20%、複数のガイドラインが関与した事案が2%
| ガイドラインとの関係 | 過失ありと判断された割合 |
|---|---|
| ガイドライン遵守時(n=92) | 2% |
| ガイドラインと異なる治療(異種療法)時(n=66) | 47% |
ガイドラインに従えばほぼ無過失(98%)となる一方、ガイドラインと異なる治療をしても、半数以上(53%)は過失なしと判断されている。つまり「ガイドライン違反=即過失」ではない。原則としてはガイドライン遵守が合理的な治療と評価されるが、患者固有の特殊事情や相応の医学的根拠があれば、ガイドラインに反しても合理的な治療(医師の裁量)と評価されうる。
異種療法でも無過失と判断された理由(n=35)の内訳は、実情に応じた判断22%、当時ガイドラインが存在しなかった17%、ガイドライン自体がその治療に否定的だった15%、他の文献的根拠12%、患者の特殊性12%、施設の特殊性5%、その他17%であった。いずれのケースでも、判決文中に「例外事由」が明記されている点が重要である。裏を返せば、ガイドラインから外れた診療を行う場合、その理由をカルテに残しておくことが、後の紛争予防に直結する。
3「全例撮影」という理念と、実施率の現実
3-1. 理念としての「全例」
Ai学会は、Aiの特徴を次の5点に整理したうえで、「全例を目標に!」という方針を掲げている。ただし同時に「……(どこまで行うか)」という留保も付されており、実装の難しさは当事者も認識している。
- 死亡時点の情報が得られる
- 生前画像との比較ができる
- 非侵襲的検査である
- 客観的資料として残せる陽性所見・陰性所見の両方
- 事後検証が可能である
第1回で紹介した通り、日本医師会の検討委員会も「小児全例について体表からのみではなくAiで死因を確認すべきである」と提言している。
特に5番目の「事後検証が可能」という特徴は、Aiならではの価値である。生前のCT等 → 死亡 → Ai撮像という時間軸のなかで、まず院内で生前画像とAi画像を比較検証でき、さらに時間が経ってからでも第三者による再検証が可能になる。破壊検査である解剖にはない性質である。
3-2. 現実としての実施率
一方、実際の実施率は理念に遠く及ばない。第1回で見た通り、医療事故調査制度の報告事例においてすら、Ai実施率は約30〜38%、解剖実施率は約28〜38%にとどまり、両者とも未実施の事例が40〜47%を占める(医療安全調査機構の公表資料より)。
医療事故として報告された、いわば「最も死因究明が求められる事例」でこの水準である以上、日常的な院内死亡におけるAi実施率がこれを上回るとは考えにくい。「全例を目標に」という理念と、臨床現場の実装との間には、依然として大きな隔たりがあるというのが実態である。
3-3. 撮るなら押さえるべき2点
法的な立場から実務上の注意点として次の2点が肝要である。
いずれも、第1回で救急医・放射線科医の側から示された指摘と一致している。
- 骨折のスクリーニングを意識する児童虐待、高齢者虐待、転倒・転落による負傷の評価において、骨折の見落としがないかを系統的に確認する
- 全身を撮影し、頸部等も忘れない第1回で紹介した「頸部撮影を忘れない」という実務ポイントは、法律家の視点からも重要な指摘として一致している
4これまでの限界を振り返る——3割・7割・8割の景色
ここで、第2〜4回で扱ってきたAiの診断精度に関するエビデンスを、一枚の地図として整理し直しておきたい。
- 死後CTの死因推定率は非外傷性死でおよそ3割、外傷死でおよそ8割(第2・3回)
- 一般病院におけるAiと剖検の死因一致率はおよそ7割前後(第4回)
- 内因死は「ほぼ確実に診断可能」「可能性はあるが不確実」「現時点で困難」の3グループに分かれ、急性心筋梗塞・肺塞栓症は今なお最も苦手な領域(第4回)
- 縊死・絞頸の骨折検出はCTと解剖がほぼ同等だが、軟部組織出血の検出はCTが著しく苦手(第3回)
- 副鼻腔液体貯留のような「古典的な所見」も、検証が進むと非特異的であることが判明する場合がある(第3回)
Aiは「死因を確定する魔法の検査」ではなく、「絞り込み・除外・記録保全のための検査」である(第2回)。この理解を前提にすれば、Aiで異常が見つからなかったことも、それ自体が価値ある陰性所見として記録に残る。
5今後の展望——AI(人工知能)とAiの接点
- モダリティの高度化CTに加え、micro-CTによる微細構造の評価、MRIの高磁場化(1.5T→3.0T→7.0T)による解像度向上
- 低侵襲的な補完手技minimally invasive autopsy(生検を組み合わせた低侵襲剖検)、死後血管造影、人工換気下での死後CT(肺の含気状態を改善し評価しやすくする)
- 対象臓器の拡大心臓・脳・肺・小児領域、ホルマリン固定後の臓器画像との対比研究
- データ解析の高度化機械学習・AI(人工知能)による自動読影支援、3Dプリンターによる病変の可視化、症例データベースの構築
このうち機械学習・AIによる読影支援は、まだ研究段階ではあるものの、将来的には「死後変化・蘇生術後変化・病変」という第2回で扱った3分類の振り分けや、骨折・出血といった所見の一次スクリーニングを支援する形で、Aiの現場に入ってくる可能性がある。放射線科医・診療放射線技師が不足しがちな施設ほど、こうした支援技術の恩恵は大きいだろう。
もっとも、【3】で見た通り、現状はAiという検査そのものの実施率がまだ低い水準にとどまっている。AIによる読影支援の前に、Aiという検査自体をどう普及させるかという実装上の課題が、当面は優先されるというのが実務的な見立てである。
6やりがちな失敗
「ガイドラインに従ったから安心」「従わなかったから危険」と単純化する:遵守時の過失率は2%と低いが、異種療法時でも53%は無過失と判断されている。重要なのは、逸脱した場合にその理由を診療録に残すことである
訴訟リスクを過大に見積もって萎縮する:医事関係訴訟の認容率は2割弱まで低下しており、刑事裁判に至る事案は年間数件規模である。低確率を過大評価する認知の癖を自覚しておく
Aiを「全例撮るべき」という理想論だけで語る:医療事故として報告された事例ですらAi実施率は3〜4割にとどまる。理想と実装のギャップを踏まえた現実的な運用設計が必要である
Aiを「訴訟対策」としてのみ位置づける:Aiの本質的な価値は死因究明・遺族への説明・医療安全の向上にある。訴訟における証拠価値はその副次的な効果である
骨折スクリーニングを省略する:児童虐待・高齢者虐待・転倒転落の評価において、骨折の系統的な確認を怠らない
AIによる自動読影支援を過信・軽視する:技術は発展途上であり、現時点では読影医の判断を代替するものではない。一方で、将来的な有用性の芽を早期に把握しておくことも有益である
7シリーズ全体のTake home
Take home
医療紛争のうち実際に訴訟提起に至るのは1割程度、刑事裁判に至るのは年間数件規模。医事関係訴訟の認容率は2000年の46.9%から2018年には18.5%まで低下しており、民事訴訟全体の認容率(8割前後)と比べても患者側の立証は容易ではない。
診療ガイドライン遵守時の過失率は2%と低いが、逸脱時でも53%は無過失と判断されており、「ガイドライン違反=過失」という単純化は誤りである。逸脱するなら、その理由をカルテに残す。
Ai学会は「全例を目標に」と掲げるが、医療事故として報告された事例ですらAi実施率は3〜4割にとどまる。理想と実装には大きな隔たりがある。
Aiの死因推定力は、非外傷性死でおよそ3割、外傷死でおよそ8割、Aiと剖検の一致率はおよそ7割前後。急性心筋梗塞・肺塞栓症・軟部組織出血の評価は今なお困難であり、Aiは「死因確定検査」ではなく「絞り込み・除外・記録保全の検査」として位置づけるべきである。
今後は機械学習・AI(人工知能)による読影支援、micro-CTやより高磁場のMRIといったモダリティの発展が期待されるが、当面はAiという検査自体の普及・実装が優先課題である。
全5回を通じて、ER医がAiと向き合う上で必要なのは、「何が見えて、何が見えないか」を正確に理解した上で、目の前の患者・遺族・そして医療安全のために、Aiという手段を主体的に使いこなす姿勢である。
本シリーズは今回で完結です。お読みいただきありがとうございました。
参考文献
- 民法第709条(不法行為による損害賠償)
- 刑法第211条(業務上過失致死傷等)
- 厚生労働省「医療行為と刑事責任について(中間報告)」
- Tversky A, Kahneman D. Advances in prospect theory: Cumulative representation of uncertainty. J Risk Uncertain. 1992;5:297-323.
- 一般社団法人日本医療安全調査機構「医療事故調査制度 現況報告」
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- Lahna D, et al. Postmortem 7T MRI for guided histopathology and evaluation of cerebrovascular disease. J Neuropathol Exp Neurol. 2022;82(1):57-70.
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